命のヴィザ発行 杉原千畝
こんばんは~
前回の続きです。
みなさんは杉原千畝という人物を知っていますか??
恥ずかしながら僕はリトアニアに来るまで知りませんでした。
では今回は彼がリトアニアの地で何を行ったのか簡単に話したいと思います。
遡ること70年前、ちょうど第二次世界大戦が始まる前のことです。
ドイツではナチ党率いるナチス・ドイツがユダヤ人迫害運動(ホロコースト)を行いました。
多くのユダヤ人が強制収容所に運ばれ、働ける者は過酷な労働、働けない女性、子供、お年寄りは先に殺害。
拳銃や毒ガスを使ったり、強制収容所内でユダヤ人にカースト制度を設けユダヤ人がユダヤ人を殺したり監視したりする。そんな状況でした。
今の世の中では考えられないことですが、現実にあったことです。
最近イスラエル、パレスチナ問題や杉原千畝の件、明後日ごろ行くアウシュヴィッツ強制収容所の勉強をしていたので、急速にユダヤ人のこと宗教、移民問題など知らないことがどんどん頭にはいってきて、、、
頭の中だけでは追いつけない状況の中、実際に現場にいって学べることができてとても嬉しいです。
さて、話は戻りこの時代。
そんな状況下にいたユダヤ人はもちろん各地から逃げて行きます。
ドイツはポーランドに侵攻、そしてポーランドの隣にあるリトアニアにいるユダヤ人は次はリトアニアだ。となり逃げなきゃいけない。
リトアニア→ソ連→日本→?といったルートを取るときにソ連から日本に行くのに日本の通過ビザが必要である。
ここで、一旦時期は戻りナチス・ドイツがユダヤ人迫害を始める前。
その後第二次世界大戦前にヨーロッパに行き、フィンランドや他の国を転々とし、最後リトアニアのカナウス日本領事館に滞在することになりました。
そして時期は重なり杉原千畝がカナウスに滞在している中欧州各地から難民としてきたユダヤ人は日本の通過ビザを求め日本領事館に押し寄せます。
しかし杉原千畝がビザの発行許可を日本の外務省に問い合わせても答えはno。
杉原は悩みに悩んだ末、ユダヤ人に日本の通過ビザを発行することを決意しました。
来る日も来る日もビザを書き続け、ついに第二次世界大戦が始まり杉原は安全な地へ逃げなければいけなくなりビザ発行は終了。
それでも救ったユダヤ人の数は6000人。
後にイスラエルから正義の人の称号を貰い、ユダヤ人からは東洋のシンドラーと呼ばれるようになりました。
僕はこの話を聞いて、第二次世界大戦前、日本は第一次世界大戦で勝利を収め勢いにのっていました。
そして国民、特に国家に使える官僚は全員お国のために。と生きていたでしょう。
そんな中、国の意向に背きユダヤ人を助ける決意をした彼の行動は本当に素晴らしいと思いました。
例えユダヤ人がどうなってもこの時代誰も攻める人はいなかったはずです。
現代の状況に置き換えれば、クラスのいじめられている子を第三者として見ているだけでも誰も攻めないはずです。
僕がかばえば標的にされる。
杉原も俺がユダヤ人をかばえば、ドイツと同盟を結んでる日本の立場が悪くなる。
そんな葛藤の中だしたこの決断から、彼の本当に世界を変えたいという意志が伝わってきます。
ユダヤ人迫害、そして今それが起こしているイスラエル・パレスチナ問題や移民問題。
簡単に答えが出る問題ではありません。
しかしみんなが自分のために。
ではなく
みんなのために。
と思えば変わるものは変わる気がしますが、まだまだ先の話になりそうですね😢
ぜひリトアニアに訪れたときにはカナウスの日本領事館に訪れてみてください!
そして唐沢寿明、小雪主演のこのストーリーを元にした【杉原千畝】という映画も上映されています!
YouTubeで見れるので見てみてください!
ではポーランドのすでにワルシャワでひたすら悲しい過去の現場に行きメンタルが沈んでいるjpからでした。笑